009:フラスコ
灰白色の病室と長い廊下が彼女の育った世界の全体だった。
[カスタム・チャイルド/壁井ユカコ]
【009:フラスコ】カスタム・チャイルド二次創作
『フラスコ・チャイルド』
1953年にDNAの二重螺旋構造が発見されてから半世紀近くが過ぎた。
この半世紀、遺伝子技術は他分野の技術を置き去りにして異常とも言える急速な発展を遂げた。
1960年代には遺伝的な要因による疾患を受精卵の段階で検査及び治療できるようになり、不妊などの問題がない健康な夫婦においても体外受精による人工妊娠が当たり前になった。
人間が猿であった頃から、いやもっともっと太古の昔、無性生殖から進化して有性生殖を行う生物が地球上に現れた時から連綿と行われてきた生殖のプロセスが、ほんの10年やそこらでがらりと変わってしまったのである。
それでも、病気の検査と治療だけで済んでいたら、人類はまだ自然の姿から逸脱する事はなかっただろう。
しかし1970年代に個々の容姿や性格を決定づける形質発現遺伝子が次々と発見され、髪の色、瞳の色、肌の色、足が速くなるとか音感が発達するとかいう能力の傾向までもが操作できるようになった。形質発現遺伝子がカタログ化され、新しい生殖ビジネスとして確立した1980年代以降の新生児は大半がカタログ・トランスジェニックとなった。
親子の容姿が全く似ていない事などザラで、今や巷には『金髪碧眼の日本人』の若者が溢れている。
というのも形質発現遺伝子の発見以降、日本人の親達は何かの強迫観念に取り憑かれたみたいにこぞって白人系の美しい子供を欲しがったのである。
まあ近年の子供の名前が日本語らしくない奇抜なものになっていっているのと同様の傾向と思えばいい。
子供の名前のみならず容姿にも親の趣味を反映できるようになったというだけの事だ。
ただし子供の名前が後で気に入らなくなったからといって誰かを訴えるものはいないだろうが、子供の容姿が気に入らないといって企業やクリニックを訴える親は実際にいるから始末が悪い。
私の育ての親は、いない。
強いて例を挙げるならば、フラスコの中、といったところか。
「そん…な…」
「信じられないでしょ?でも本当。私は日本で…いえ、世界でただ一人の特殊なカスタム・チャイルドなの」
都井 七海。
18歳。
「だから、私に近付かないで。私の呪われた血は、きっとあなたまでも不幸にする」
かつて、津山三十人殺しの犯人の遺伝子を持った子供。
「そんなバカな…!津山三十人殺しは確か犯人の自殺で決着がついた筈じゃないか!?」
「そうね。だけど、死体は?今では科学や医療が進歩して、髪の毛一本でその人間の遺伝子…いいえ、その人間一人を丸々再現することも可能といってもいい」
「嘘だ!!俺はそんな話信じない」
「信じないのはあなたの勝手。私に親はいない。生まれ育ったのはフラスコの中。灰白色の病室と長い廊下が私の育った世界の全てよ」
「そんな…何のために…?」
「ある一人の科学者(マッド・サイエンティスト)がね、ある時世界を滅ぼしたいって思ったのよ。墓を掘り起こし、ある死体のDNAを採取した。そこから人間を作ったわ。いえ、この場合は殺人鬼を作った…と言った方がいいわね」
荒れ果てた土地と、積み重なる屍の山。
白衣の男がごろりと転がり落ちている。
七海は冷めた表情で白衣の男の死体を見つめて、踏みつけた。
「嗚呼、清々したわ」
嘲笑う。
蹴り上げる。
「これで、世界に人間はいなくなった。あなたを除いて」
ビクリ、と男は怯える。
黒髪黒目の、ごくごく普通の…だけど今となってはとても珍しい日本人の男。
「こんなの、間違ってるよ…!」
「ええ、そうね。人間は歩む方向を間違えた。遺伝子操作なんて神への冒涜だわ。だから、私はそんな世界をぶっ壊したくて殺した。そう!!私の身体には津山三十人殺しの犯人の遺伝子という呪われた血が入ってる!!世界を滅ぼす殺人マシーンとしてこの世に産み出されたのよ!?」
「もうやめてくれ!!お願いだ…これ以上僕を苦しめないでくれ…」
「それはこっちのセリフよ!!なんなのあなた!?馴れ馴れしく近づいてきて…私の心に土足で踏み込んできて…!」
男は震える手で七海の身体をそっと抱きしめる。
七海は血で汚れたナイフを手放した。
「殺せないじゃない…!」
「七海、それが愛って…言うんだよ」
【愛は、私達を幸福にする為にあるのではなく、私達が悩みと忍耐においてどれほど強くあり得るかを示すためにある/ヘッセ】
END.
[カスタム・チャイルド/壁井ユカコ]
【009:フラスコ】カスタム・チャイルド二次創作
『フラスコ・チャイルド』
1953年にDNAの二重螺旋構造が発見されてから半世紀近くが過ぎた。
この半世紀、遺伝子技術は他分野の技術を置き去りにして異常とも言える急速な発展を遂げた。
1960年代には遺伝的な要因による疾患を受精卵の段階で検査及び治療できるようになり、不妊などの問題がない健康な夫婦においても体外受精による人工妊娠が当たり前になった。
人間が猿であった頃から、いやもっともっと太古の昔、無性生殖から進化して有性生殖を行う生物が地球上に現れた時から連綿と行われてきた生殖のプロセスが、ほんの10年やそこらでがらりと変わってしまったのである。
それでも、病気の検査と治療だけで済んでいたら、人類はまだ自然の姿から逸脱する事はなかっただろう。
しかし1970年代に個々の容姿や性格を決定づける形質発現遺伝子が次々と発見され、髪の色、瞳の色、肌の色、足が速くなるとか音感が発達するとかいう能力の傾向までもが操作できるようになった。形質発現遺伝子がカタログ化され、新しい生殖ビジネスとして確立した1980年代以降の新生児は大半がカタログ・トランスジェニックとなった。
親子の容姿が全く似ていない事などザラで、今や巷には『金髪碧眼の日本人』の若者が溢れている。
というのも形質発現遺伝子の発見以降、日本人の親達は何かの強迫観念に取り憑かれたみたいにこぞって白人系の美しい子供を欲しがったのである。
まあ近年の子供の名前が日本語らしくない奇抜なものになっていっているのと同様の傾向と思えばいい。
子供の名前のみならず容姿にも親の趣味を反映できるようになったというだけの事だ。
ただし子供の名前が後で気に入らなくなったからといって誰かを訴えるものはいないだろうが、子供の容姿が気に入らないといって企業やクリニックを訴える親は実際にいるから始末が悪い。
私の育ての親は、いない。
強いて例を挙げるならば、フラスコの中、といったところか。
「そん…な…」
「信じられないでしょ?でも本当。私は日本で…いえ、世界でただ一人の特殊なカスタム・チャイルドなの」
都井 七海。
18歳。
「だから、私に近付かないで。私の呪われた血は、きっとあなたまでも不幸にする」
かつて、津山三十人殺しの犯人の遺伝子を持った子供。
「そんなバカな…!津山三十人殺しは確か犯人の自殺で決着がついた筈じゃないか!?」
「そうね。だけど、死体は?今では科学や医療が進歩して、髪の毛一本でその人間の遺伝子…いいえ、その人間一人を丸々再現することも可能といってもいい」
「嘘だ!!俺はそんな話信じない」
「信じないのはあなたの勝手。私に親はいない。生まれ育ったのはフラスコの中。灰白色の病室と長い廊下が私の育った世界の全てよ」
「そんな…何のために…?」
「ある一人の科学者(マッド・サイエンティスト)がね、ある時世界を滅ぼしたいって思ったのよ。墓を掘り起こし、ある死体のDNAを採取した。そこから人間を作ったわ。いえ、この場合は殺人鬼を作った…と言った方がいいわね」
荒れ果てた土地と、積み重なる屍の山。
白衣の男がごろりと転がり落ちている。
七海は冷めた表情で白衣の男の死体を見つめて、踏みつけた。
「嗚呼、清々したわ」
嘲笑う。
蹴り上げる。
「これで、世界に人間はいなくなった。あなたを除いて」
ビクリ、と男は怯える。
黒髪黒目の、ごくごく普通の…だけど今となってはとても珍しい日本人の男。
「こんなの、間違ってるよ…!」
「ええ、そうね。人間は歩む方向を間違えた。遺伝子操作なんて神への冒涜だわ。だから、私はそんな世界をぶっ壊したくて殺した。そう!!私の身体には津山三十人殺しの犯人の遺伝子という呪われた血が入ってる!!世界を滅ぼす殺人マシーンとしてこの世に産み出されたのよ!?」
「もうやめてくれ!!お願いだ…これ以上僕を苦しめないでくれ…」
「それはこっちのセリフよ!!なんなのあなた!?馴れ馴れしく近づいてきて…私の心に土足で踏み込んできて…!」
男は震える手で七海の身体をそっと抱きしめる。
七海は血で汚れたナイフを手放した。
「殺せないじゃない…!」
「七海、それが愛って…言うんだよ」
【愛は、私達を幸福にする為にあるのではなく、私達が悩みと忍耐においてどれほど強くあり得るかを示すためにある/ヘッセ】
END.
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