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菟原処女(うないおとめ)伝説




処女塚公園:神戸市東灘区御影塚町2-10
阪神電鉄石屋川駅より徒歩5分。


神戸市東灘区御影塚町の閑静な住宅街の中に、古墳時代前期に築かれた南向きの全長70mほどの前方後円墳が現存する。
処女塚(おとめづか)というこの古墳を中心に、東西約2kmの同じ距離のところに、東求女塚(ひがしもとめづか・東灘区)と西求女塚(にしもとめづか・灘区)という古墳があり、これら3つの古墳には古い言い伝えがある。
その伝説は1人の女性をめぐる悲恋物語で、万葉の歌人たちが歌にも詠んだという。


昔、このあたりに菟原処女(うないおとめ)という絶世の美女が住んでおり、多くの男性からの求婚が絶えなかった。
中でも、地元の菟原壮士(うないおとこ)と、和泉国の血沼壮士(ちぬおとこ)の2人の男性は菟原処女に求婚を繰り返し、挙句の果てに太刀を握って弓を取り争うほどだったという。
それを見た処女は、私のような者のために争うなら誰とも結婚できないと思い詰めて自ら命を絶ったのであった。


その夜、血沼壮士の見た夢の中に処女が現れたことから、実は自分のことを愛していたのだと思った血沼壮士は後を追って生命を絶ったが、この話を聞いた菟原壮士もすぐに後を追って死んだという。


その後、縁者が集まり菟原処女の墓を中心にして、東西等間隔の場所に処女の墓へ向き合う形で東に血沼壮士(東求女塚)、西に菟原壮士(西求女塚)の墓を作ったという。


この悲恋伝説は後世に受け継がれていき、文学作品の素材になった。
平安時代には『大和物語』に取り入れられ、舞台も生田川へと移る。


2人の男性は、生田川に浮かぶ水鳥を射抜いた方と結婚を許すという処女の親の案を受け入れ、両者が同時に弓を射たところ、両方の矢が一羽の水鳥を同時に射抜いてしまった。
結局最後まで決着は着かず、処女は生田川へ身を投げて死んだという。


しかし、処女塚、東西2つの求女塚の3つの古墳は考古学的に見て異なった時代に作られており、一連の菟原処女にまつわる悲恋話は事実ではないとされている。


3つの古墳は、地域を支配した豪族の墓と考えられており、古墳が作られてから数百年経ち、誰が埋葬されているのかが分からなくなった奈良時代の人々がロマンを求めて伝えていた説話…なのかもしれない。
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