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志染の二王子伝説



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志染の石室:三木市志染町窟屋 神戸電鉄緑が丘駅よりバス「大谷口」下車、徒歩約10分


三木市の市街地から東に行くと志染町に出る。
ここには古代、縮見屯倉(しじみのみやけ)があったとされている。
ここに史跡「志染の石室」がある。
春から初夏頃、洞窟内の湧水が藻によって金色に光るので「金水」とも呼ばれる。
奈良時代に成立した最古の歴史書『古事記』を始め、『播磨国風土記』や『日本書紀』に書かれた於奚(億計・おけ)
と袁奚(弘計・をけ)の2人の王子の伝説地でもある。

神話の時代…安康天皇(あんこうてんのう)の頃、大和朝廷の皇位継承をめぐる権力争いは激化していた。
継承者の1人だった二王子の父・市辺之忍歯皇子(いちのへのおしはのみこ)は、対立する雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)に暗殺され、追い詰められた二王子は志染の石室へと逃げ延びて隠れ住んだという。

王子たちは『丹波の小子(たんばのわらわ)』と称して縮見屯倉の長官だった忍海部造細目(おしぬみべのみやつこほそめ)という人物の下働きとして仕えた。

ある時、忍海部造細目(長官)の家の新築祝いがあり、播磨を統治していた伊予来目部小楯(いよのくるめのべのおだて)も客として招かれていた。
この新築祝いの席上で、二王子たちは歌にのせて「僕らは天皇の子である」と正体を明かした。

驚いた客の小楯は慌てて跡継ぎのいなかった清寧天皇へと報告し、報告を聞いた清寧天皇は喜んで二王子を大和朝廷へと招いた。

弟の袁奚(弘計・をけ)が先に皇位を継いで顕宗天皇(けんそうてんのう)となり、その後、兄である於奚(億計・おけ)が仁賢天皇(にんけんてんのう)になったという。
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