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HOME>100のお題その2

036:それから



Drift走り屋er 番外編

【036:それから】


三重県鈴鹿市。

鈴鹿サーキット。
その日、大小様々な普通自動車や軽自動車が並んでいた。

ここなら皆で走れるな

流 健二、27歳。
時の流れは早いもので、健二は落ち着いた雰囲気の大人になっていた。
20歳前後の頃は髪を金髪にしていたが、今では茶髪。

リア充爆発しろ

荒んだ表情で物騒なことを言ったのは相良 走一。
走一はひょんなことから5年先にタイムスリップしてしまった。
見た目的には22歳だが、実年齢は27歳である。
ちなみに独身。

今日はね、ここでのんびり鈴鹿サーキットを走行するんだよ。20歳以上で免許と愛車を持ってるなら鈴鹿サーキットのコースを自由に走行できるようになったんだ。まあ、開催日時は決まってるから事前に予約しなくちゃいけないし、ちゃんと保険料と誓約書と承諾書を出さないといけないけどね

柔和な表情で解説するのは兵庫県警の警察官、高木 ヒロユキ。
ギリギリ30代後半、妻に先立たれた男。
だいぶ老けた。

鈴鹿を走るのは初めてだなぁ…

キョロキョロとあたりを見回すのは走一の弟、相良 走二。
見た目的には双子といっても差し支えない。

………

黙ってコースマップを見つめているのは春日 シンジ。
職業、生臭坊主。

【走行会に参加する方はパドックにお集まり下さい】

放送が流れる。

お、いよいよだな

いたずらっ子のように笑う相良 走一。

ぜってー負けねぇからな!兄貴!!

ビッと指差し宣戦布告する走二。
走り屋達はそれぞれの愛車へと向かって歩き出す。

ところで鈴鹿サーキットは難コースと言われているんだけどその理由、知ってる?

高木は歩きながら豆知識を披露した。

【鈴鹿サーキット】
ホンダの創始者である本田宗一郎が国際レースでの勝利とモータースポーツ普及のために建設した日本初の本格的サーキット。
このサーキットが計画された時、コース全体が見通せる平らな土地が良いと水田地帯がサーキットの候補地に上がり、その考えを基準に設計図を作成。
しかし、本田宗一郎は図面を見るなり激怒したという。

「米を粗末に扱うとはどういうことだ!人に迷惑をかけない、米も作れないような荒地を利用するとか、そういう風なコースにするんだ!!」


へー…

健二は車の鍵をチャリチャリと弄びながら、高木の話を大人しく聞く。

本来なら、こんなコースにはならなかったってことか…

そういうこと。土地の売買に反対する人がいた場合、無理にその土地を買おうとはしなかったそうだ

高木は本日7本目のコーヒーを自販機で買い、美味そうに飲む。

鈴鹿サーキット創立が1962年…それから50年…て奴か

1962年、本田宗一郎の指示によりコースのデザインは大幅に変更され、その結果、鈴鹿サーキットは立体8の字やスプーンのようなカーブなどがある、世界中のレーサーたちが挑戦したくなるような独特のコース設計になったとか。

このメンバーはいつも法定速度ぶっちぎってるからね。たまにはサーキットで正しく法定速度内で走ってもらおうと思ってさ

高木は飲み終わったコーヒー缶を超人的握力で捻り潰し、ゴミ箱へとシュートした。
ゴミはゴミ箱に。

いつも走り屋の俺らをひっ捕まえて違反キップを笑顔で渡すのによく言うよ…

だっておれ、警察官だもん

その警察官がパトカーを改造して法定速度ぶっちぎってるっつってんだよ…

(∩゚д゚)アーアーきこえなーい

それから。
走り屋たちはハンドルを握る。
どこまでも、どこまでも。
彼らは死ぬまで走り屋をやめない。


END.
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