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津山事件




【津山事件】

いわゆる『津山三十人殺し』。


【津山事件】
・1938年(昭和13年)5月21日
・岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現:津山市加茂町行重)
・分類:大量殺人

俗に言う『津山30人殺し』と呼ばれるこの事件は、呼び名の通りに1人の犯罪者が1時間半足らずで30人も殺害したという前代未聞の犯罪である。
あまりに陰惨な犯行と真相に謎が残されていることから、横溝正史の『八つ墓村』など、後世のフィクションに絶大な影響を与えたという。
事件の概要は大体以下のとおり。

岡山県の山深い場所に位置する西加茂村(現:津山市加茂町)に住んでいた都井睦雄(当時21歳)は、しばらく前から村人の大量虐殺を計画しており、1938年5月20日の夕方、ついに計画を実行に移したという。
手始めに外部から村に引かれていた電線を切断、村を孤立させた後、夜になるのを待った。
それから学生服と軍用ゲートル地下足袋を身にまとうとハチマキを締め、小型の懐中電灯をハチマキの両側に1本ずつ結わえ、首からは自転車用のランプをぶら下げ、更には腰に日本刀1振りと匕首を2振り、手には改造した9連発ブローニング猟銃を持つという異様ないでたちとなった。
日をまたいだ翌21日午前1時半頃、都井はまず同居していた祖母の首を斧で切断して殺害すると、すぐさま家を飛び出して近隣の住人を次々と猟銃と日本刀で殺害していった。
この時の都井の様子は非常に落ち着いており、非常に手際よく殺害していったと言われている。
やがて都井は隣村の知り合いを訪問。
その家の子供から鉛筆と紙を貰って遺書を執筆すると、子供に「うんと勉強して偉くなれよ」と言い残して3.5キロメートルほど離れていた荒坂峠の頂上に赴き、猟銃で心臓を撃ち抜き自殺。

この「津山事件」は、犯人も犯行手口も明らかになっている。
では何が未解決か?
動機がよくわからないのだ。

定説では女性関係のもつれからくる怨恨。
村では秀才として知られた都井は、異性に非常にもて、一時期は複数の女性と関係を持っていたとされる。
しかし、1937年に徴兵検査を受けた際に結核が見つかり実質上の不合格となると、女性たちは病気を理由に都井の元を離れていったという。
これを恨み、村人達を虐殺したというのだ。
特に都井が恨みを持っていた、特定のとある女性がいたとも言われている。
その女性は過去に都井と関係を持っていたが、後に別の人と結婚。
その女性が村へ里帰りしてきたことがきっかけで犯行に及んだとも言われている。
ところが、里帰りしていた女性は事件が起きた時にはすぐに逃げ出して助かっているのだ。
また、女性関係からくる怨恨にしては子どもや老人も無差別に多数殺害している。
女性からくる怨恨ならば女性を殺害すると思うのだが…
残された遺書には「うつべきをうたず、うたいでもよいものをうった」と反省の文らしきものが書いてあったが、それにしてもただの痴情のもつれにしては不可解過ぎる。
勿論、最初は特定の女性を狙っていたが、その後ヤケになって無差別大量殺人に及んだと考えることもできるだろう。
しかし、犯行の際の都井は非常に冷静だったという生存者の証言もあり、更にとある老人は「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪えてやるけんの」と言われて見逃されたという。
それらを考え合わせると、特定の女性だけでなく、都井と村人全員の間に何かもっと根深い人間関係の軋轢があったのではないかとも考えられる。

異常な性格の犯罪者による、全く根拠のない逆恨みによる犯行だったとは言い切れないのだ。
さらに言えば、都井が村の複数の女性と関係を持っていたという証言も、多くの女性が殺害され、生き残った女性も口をつぐんだため、事実なのかどうかは未だに明らかではない。
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