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綱敷天神と休天神



【綱敷天神と休天神】



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昌泰4年(901年)。
藤原時平の陰謀で、九州の大宰府へ左遷された菅原道真の一行は、御影の沖合で美しい松林を見つけ、船を着けて上陸した。
御影石町2丁目の天神社お旅所には、この時の「菅公船繋(ふなつなぎ)の松」という老松があった。(※現在はもう無い)
一行はその山手で休憩することになった。
土地の山背(やましろ)という豪族は急なことなので石の上に綱をぐるぐると巻いて円形の座席を設けて道真をもてなしたという。
道真が死んだ後、太宰府の天満宮に祀られると、子孫の菅原善輝が道真の足跡を辿り、各地に天神社を建てた。
その際、綱の席にちなんで祀ったのが石屋川の東、JRの北にある綱敷(つなしき)天満神社だと伝えている。

どっこい、神戸市内には同じ伝説を持つ神社がもうひとつある。
須磨の綱敷天満宮だ。
道真の一行は九州に向かう途中、荒波のために船が進まなくなったので、西須磨の浜にも上陸したという。
この頃の須磨は寂しい漁村(要するに田舎)だったが、漁師たちは道真をもてなすために大きな美しい松の樹のもとに魚をとる時の網につける太い綱を地面にぐるぐると巻いて丸い座席をしつらえて道真を休息させたという。
後に菅公が天神様として祀られるようになると、須磨でも道真の休まれたこの地に天満宮を祀り、綱敷天神とか、綱巻天満宮と呼ぶようになったという。
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