FC2ブログ

HOME>100のお題その1

028:般若心経

【般若心経 はんにゃしんぎょう】
大乗仏教の空・般若思想を説いた経典の1つ。
宗派によって呼び方は様々あり、この他に仏説摩訶般若波羅蜜多心経、摩訶般若波羅蜜多心経、般若波羅蜜多心経と言う。
略称として心経。
なお、漢訳には題名に「経」が付されているが、サンスクリットテキストの題名には「経」に相当する「スートラ」の字句はない。

僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、一部の宗派を除き僧侶・在家を問わず、読誦経典の1つとして、永く依用されている。【般若心経】
代表的な流布テキスト。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
受・想・行・識亦復如是。
舎利子。
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。
無眼界、乃至、無意識界。
無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。
無智亦無得。
以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。
故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。
般若心経


おおまかに現代語訳すると、以下のようになる。

【般若心経 おおまかな現代語訳】
私はこのように聞いています。
お釈迦様が大勢の出家した弟子達や菩薩様達と共に王舎城の霊鷲山にいらっしゃった時、お釈迦様は深い悟りの瞑想に入られました。
その時、観音さま(観自在菩薩)は深淵な“智慧の完成(般若波羅蜜多)”の修行をされて次のように見極められました。
人は私や私の魂というものが存在すると思っているけれど、実際に存在するのは体、感覚、イメージ、連想、思考という一連の知覚を構成する5つの要素(五蘊)であり、そのどれもが私ではないし、私に属するものでもないし、またそれらの他に私があるわけでもないのだから、結局どこにも私などというものは存在しないのだ。
しかもそれら5つの要素も幻のように実体がないのだと。
そして、この智慧によって、すべての苦しみや災いから抜け出すことができました。
お釈迦さまの弟子で長老のシャーリプトラ(舎利子)は、観音様に次のように尋ねました。
「深淵な“智慧の完成”の修行をしようと思えば、どのように学べばよいのでしょうか?」 それに答えて、観音様はシャーリプトラに次のように説かれました。

「シャーリプトラよ、体は幻のように実体のないものであり、実体がないものが体としてあるように見えているのです。
体は幻のように実体のないものに他ならないのですが、かといって真実の姿は我々が見ている体を離れて存在するわけではありません。
体は実体がないというあり方で存在しているのであり、真実なるものが幻のような体として存在しているのです。
これは体だけでなく感覚やイメージ、連想や思考も同じです。
(つまり、私が存在するとこだわっているものの正体であるとお釈迦様が説かれた「五蘊」は、小乗仏教が言うような実体ではありません。)
シャーリプトラよ、このようにすべては実体ではなく、生まれることも、なくなることもありません。
汚れているとか、清らかであるということもありません。
迷いが減ったり、福徳が増えたりすることもありません。
このような実体はないのだという高い認識の境地からすれば、体も感覚もイメージも連想も思考もありません。
目・耳・鼻・舌・皮膚といった感覚や心もなく、色や形・音・匂い・味・触感といった感覚の対象も様々な心の思いもありません。
目に映る世界から、心の世界まですべてありません。
(つまり、お釈迦様が説かれた「十二処」は小乗仏教が言うような実体ではありません。)
迷いの最初の原因である認識の間違いもなければ、それがなくなることもありません。
同様に迷いの最後の結果である老いも死もないし、老いや死がなくなることもありません。
(つまり、お釈迦様が説かれた「十二縁起」のそれぞれは小乗仏教が言うような実体ではなく生まれたりなくなったりしません。)
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません。
(つまり、お釈迦様が説かれた「四諦」のそれぞれは小乗仏教が言うような実体ではありません。)
知ることも、修行の成果を得ることもありません。
また、得ないこともありません。
このような境地ですから、菩薩様達は“智慧の完成”によって、心に妨げがありません。
心に妨げがないので恐れもありません。
誤った妄想を一切お持ちでないので、完全に開放された境地にいらっしゃいます。
過去・現在・未来のすべての仏様も、この“智慧の完成”によって、この上なく完全に目覚められたのです。
ですから知らないといけません。
“智慧の完成”は大いなる真言、大いなる悟りの、最高の、他に比べるものもない真言であり、すべての苦しみを取り除き(取り除く真言であり)、偽りがないので確実に効果があります。
さあ、“智慧の完成”の真言はこうです。

「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」
(智慧よ、智慧よ、完全なる智慧よ、完成された完全なる智慧よ、悟りよ、幸あれ。)

シャーリプトラよ、深淵な、“智慧の完成”の修行をするには、以上のように学ぶべきなのです。」

この時、お釈迦様は瞑想を終えられて、「その通りです」と、喜んで観音様をお褒めになられました。そして、シャーリプトラや観音様やその場にいた一同をはじめ、世界のすべての者達はお釈迦様の言葉に喜びました。

以上で“智慧の完成”の神髄の教えを終わります。

般若心経

さて、般若心経を題材にした物語はこの世界にもいくつかある。
最も有名なのはやはり『耳なし芳一』だろうか。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談で知られた『耳なし芳一』のクライマックスには、般若心経が登場する。
平家の亡霊達に魅入られ、夜な夜な墓場で琵琶を弾く芳一を守る為に、寺の住職が芳一の全身に般若心経を書き付けたのである。
同じく、身を守る為の般若心経が現れる話はもう1つある。
中世の幸若舞の演目の1つ、蒙古襲来を題材にした『百合若大臣』がある。
史実は北条時宗の時代の事だが、物語は嵯峨天皇の御代の百合若大臣に「蒙古」をむかえ撃たせている。
敵に妖術をかけられた百合若は、その危機に際して般若心経を舳先に書き付けた船で臨み、大勝をおさめるのである。

更に時代を遡れば、平安時代の始めの『日本霊異記』や平安末期から鎌倉にかけて編まれた『今昔物語集』などには、般若心経の持つ霊験、ありがたさを説いた説話が見られる。
例えば、『日本霊異記』には、地獄を往復した女性の物語がある。
優婆夷(うばい)と呼ばれた在家の女性信者は、美しい声で般若心経を読踊する事で有名だったのだが、突然死んでしまった。
地獄の閻魔大王の前に招かれた彼女は、請われて心経を唱えた。
その素晴らしさに感動した閻魔大王は彼女を生き返らせたという結末で、この話は終わる。

身を守る為の経典、不思議な力を持つ経典。
様々な顔を持つ般若心経ではあるが、物語のファクターとして保持した力は、とりもなおさず、物語を読む人々が般若心経に期待したものなのだろう。

END.
スポンサーサイト

この記事のトラックバックURL

http://paradox07.blog68.fc2.com/tb.php/66-77ca6a2e

コメント

コメントする

管理者にだけ表示を許可する

  Template Designed by めもらんだむ RSS

special thanks: Sky Ruins, web*citronDW99 : aqua_3cpl Customized Version】